全生庵 東京都台東区
寺院墓地 概要
寺院墓地 風景
臨済宗 全生庵の歴史
当庵は山岡鉄舟居士が、徳川幕末、明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために 明治十六年に建立した。
鉄舟居士は慶応四年三月、江戸城総攻撃のため官軍東征するや、徳川十五代将軍慶喜の命を受け、単身で静岡まで進軍して来た官軍の大本営に赴き、総参謀西郷南州に面接し 江戸城無血開城の道をひらき 江戸市民を戦火の災厄から救い 徳川家の存続をも全からしめた。
明治五年から十年間、明治天皇の侍従となり天皇を精神的に教導申し上げ、英邁な明治大帝を育成した。また剣、禅、書の奥義を極め、剣の無刀流を開いた。
全生庵の寺名は、明治七年居士が鎌倉建長寺開山蘭渓道隆禅師自筆の全生庵という額を人から貰い、これを書斎に掛けて愛蔵していた。
明治十三年、居士が一寺建立を発願し、寺域を道友国泰寺越叟和尚のすすめにより谷中の現在地に選定した。ところが計らずも、此の土地が七百年前、道隆禅師が江戸に漂着し九死に一生を得て、全生庵という庵室を作って閑居していた旧跡であるいことが分かった。居士も奇縁に感じ、明治十六年、全生庵を寺号とし、居士邸から曾て江戸城の守本尊であった葵正観世音の霊像を遷して本尊とした。
明治廿一年七月十九日鉄舟居士は五十三才で逝去、全身を当庵に葬る。法名は全生庵殿鉄舟高歩大居士、当庵は臨済宗国泰寺派、開山は越叟和尚、開基は山岡鉄舟居士である。
尚居士との因縁で、落語家の三遊亭円朝、国士の荒尾精、山田良政、岡田満、石油開発者の石坂周造、長谷川尚一、画家の松本楓湖、教育家の棚橋絢子、の墓所があり、円朝遣愛の幽霊画五十幅、明治大正名筆の観音画百幅が所蔵されている。
全生庵七世現住職 平井正修記
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