起源と歴史

寛永寺 光明閣の起源と歴史
東叡山寛永寺は、寛永二年(一六二五)に天海大僧正によって創建されました。東叡山とは東の叡山を意味し、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈るお寺として建てられました。
最盛期には現在の上野公園を中心に境内地約三十万五千坪、寺領約一万二千石に及ぶ我が国最大級の格式と規模を誇りました。
しかし、幕末の戊辰戦争で多くの伽藍を焼失し、境内地も縮小されましたが、現在も天台宗の別格大本山としての威容を保つ歴史と伝統ある古刹であります。そして、戦後は時代の要請に応え、新しい教化事業を展開しております。特に現在は少子化・核家族化の進展に伴い、個人墓の需要が増えて参りました。さらに、後継者不在など、お墓の維持継承の困難な方々や、墓地不足・取得建立価格の高騰化などによってお困りの方も増加傾向にあります。そうした方々の御希望に応ずる形として、このたび、永代供養墓『光明閣』を建立致しました。
継承者のない方でも、お寺が継承者に代わって責任を持って末長くご先祖をお守りし、さらにはご本人様の将来のご供養を生前のご希望にそってお約束致します。歴代将軍廟と同じ墓域に建立され、清浄で静寂な環境にある『光明閣』を是非ともお奨め致します。
| お問い合わせは 光明閣管理事務所まで | 0120‐973‐680 |











